向田邦子のお墓を訪ねて|多磨霊園 文学界に生き続ける作家

目次

多磨霊園で偉大な脚本家・作家の生涯を偲ぶ|向田邦子のお墓

はじめに

多磨霊園には、数多くの文化人・著名人が眠っています。その中でも小説家・脚本家として昭和を代表する作家、向田邦子(むこうだ くにこ)のお墓は、多くの人々にとって特別な場所です。
今回は、現地で撮影した写真を交えながら、向田邦子のお墓の様子をご紹介いたします。

向田邦子とは

向田邦子(1929年~1981年)は、エッセイスト・脚本家・小説家として幅広く活躍しました。

  • テレビドラマ『寺内貫太郎一家』『あ・うん』などで脚本家として人気を博す
  • 『父の詫び状』で直木賞を受賞
  • エッセイや小説に綴られた日常の機微、家族や人間関係の描写で多くの読者を魅了

しかし1981年、台北での航空事故により急逝。その突然の死は日本中に大きな衝撃を与えました。

お墓の場所と雰囲気

向田邦子のお墓は、多磨霊園の一角にあります。園内は広大で自然が豊かですが、彼女の墓所は比較的わかりやすい区画に位置しております。

明るく開けた区画の中に、手入れの行き届いた墓所が見えてきます。お花とお線香が供えられており、いまなお多くのファンや縁者が訪れていることが感じられます。

植木はしっかりと整えられ雑草は全て除草されておりました。砂利もしっかりと敷き詰められております。

お墓の特徴

お墓の場所は12区1種29側52番です。墓石には「向田家之墓」と刻まれており、その横には本の形をした墓碑が建っています。

碑には以下の詩が彫られています。

「花ひらき はな香る 花こぼれ なほ薫る」

これは俳優・森繁久彌氏が向田邦子へ捧げた詩で、裏面には森繁氏の署名も刻まれています。

また、墓碑の左側には代表的な作品名や「1980年第83回直木賞受賞」の文字が彫られており、彼女の功績を静かに伝えています。

また、近くには注意書きのプレートが掛けられており、参拝者の多さがうかがえます。

水鉢をお線香置きと勘違いしてしまう方は実際多くいらっしゃいます。お墓の前にあるくぼみは「お線香置き」ではなく「水鉢」ですので絶対にお線香をお供えしないようにしてください。

向田邦子の作品と墓前のつながり

墓所に立つと、彼女の作品に描かれた「家族」「日常」「人間関係」が思い起こされます。小さなエピソードの積み重ねを愛おしく表現した彼女の文章は、いまも多くの読者の胸を打ち続けています。

静かな墓所の佇まいは、まるで彼女のエッセイの一場面に入り込んだかのようで、文学的な余韻を感じさせます。

おわりに

向田邦子のお墓は、文学とテレビドラマの黄金期を象徴する存在です。
多磨霊園を訪れる際には、ぜひ彼女の墓所に足を運び、作品世界に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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「たまのや」より

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