西郷家のお墓|多磨霊園で最大級の広さを誇る墓所

目次

西郷家のお墓を訪ねて|多磨霊園で最大級の墓所

はじめに

多磨霊園には数多くの著名人が眠っていますが、その中でも圧倒的な規模を誇るのが「西郷家」の墓所です。
西郷隆盛の弟である西郷従道を中心に、西郷一族が眠るこの区画は、多磨霊園の象徴的な存在といえるでしょう。

車が通れる大通りに面しています
車で気軽に立ち寄れる場所です

西郷家の墓所の広さ

西郷家の墓所は 288平方メートル(約87坪)。畳に換算すると実に 174畳 に相当し、多磨霊園でも最大級の規模を誇ります。
区画全体は石造りの外柵で囲われ、内部には墓石が4基、さらに周囲には荘厳な雰囲気を漂わせる 12基の石灯籠 が建ち並んでいます。

10区1種1側1号

現地での様子

実際に現地を訪れると、そのスケールの大きさにまず圧倒されます。

入り口から続く参道は、両脇に松や常緑樹が立ち並び、まるで時代を超えてきたかのような静けさが漂っています。墓所を囲う白い石柵は長く連なり、その奥に複数の墓石と灯籠が整然と並ぶ姿は壮観です。

4基の墓石と12基の石灯籠が並びます
西郷家之墓

一番左に「西郷家之墓」と刻まれた墓石があり、そこには西郷従徳や西郷従吾らが眠っています。さらに区画内の参道を進むと、西郷従道の墓、西郷清子の墓、西郷従理の墓と続きます。

広大な区画が参道でつながっている珍しい墓所です

石灯籠が規則正しく並ぶことで、まるで神域のような厳かな雰囲気を醸し出していました。

また、外柵内の通路には雑草が目立つ箇所もありましたが、それすらも年月を重ねてきた歴史の重みを感じさせ、墓所全体の風格を損なうことはありません。

墓所に建つ4基の墓

西郷家の墓所には、左から順に以下の4基のお墓が並んでいます。

西郷家之墓

「西郷家之墓」には、西郷従徳(さいごう じゅうとく)、西郷従吾(さいごう じゅうご) らが眠っています。
西郷従徳は西郷従道の次男であり、西郷隆盛の甥にあたります。最終階級は陸軍大佐で、軍人として生涯を送りました。
その長男である西郷従吾もまた軍に身を置き、最終階級は大佐。西郷家の名を近代日本の軍事史に刻んでいます。

西郷従徳
墓誌には西郷家の人々の名が刻まれています
昭和十三年九月二十日建之

西郷従道(さいごう じゅうどう / つぐみち)の墓

父は鹿児島藩士で、あの西郷隆盛の実弟にあたります。兄が「大西郷」と称されたのに対し、従道は「小西郷」と呼ばれました。政界・軍部の重鎮として活躍。文部卿・陸軍卿・農商務卿を歴任。明治27年には海軍大将となり、日清戦争を海相として迎えました。戦功を認められて侯爵に叙され、明治31年には元帥に昇進。海軍大臣として海軍の近代化と改革に尽力し、以後も政府内で「薩摩閥」の重鎮として影響力を持ち続けました。最終階級は 元帥海軍大将・陸軍中将。栄典は 従一位・大勲位・功二級侯爵。名前は本来「つぐみち」ですが、西郷家では「じゅうどう」が正訓とされています。

ひときわ目を引く大きな墓石が西郷従道の墓石です
元帥海軍大将大勲位功二級従一位伯爵西郷従道墓

西郷清子の墓

西郷従道の妻であり、夫とともに西郷家を支えた人物。

西郷従理の墓

西郷従道と清子の長男。10歳で夭折し、両親と並んで祀られている。

それぞれのお墓が堂々と並び立ち、広大な敷地とともに西郷家の存在感を物語っています。

おわりに

多磨霊園の西郷家墓所は、その規模と荘厳さにおいて特別な存在です。石柵と灯籠に囲まれた広大な区画に立つと、西郷一族の歴史と、近代日本の歩みを強く感じることができます。
多磨霊園を訪れる際には、ぜひ足を運び、その雰囲気を体感してみてはいかがでしょうか。

「たまのや」より

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