【多磨霊園】山本五十六のお墓を訪ねて|名誉霊域に眠る連合艦隊司令長官

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やってみせ、言って聞かせ、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ

多磨霊園の静かな並木道を進むと、ひときわ風格ある墓碑が現れます。
「やってみせ、言って聞かせ、させてみせ…」――この言葉で知られる日本海軍の名将、山本五十六。そのお墓は東京都府中市の多磨霊園にあります。
今回は、彼の生涯とお墓の場所・見どころを写真とともにご紹介します。

山本五十六とは ― 日本海軍の象徴的存在

山本五十六(やまもと いそろく)は、日本海軍を代表する司令長官として、真珠湾攻撃をはじめとする太平洋戦争初期の作戦を指揮した人物です。
新潟県長岡市に生まれ、海軍兵学校・海軍大学校を優秀な成績で卒業。
若くして米国に留学し、ハーバード大学で国際情勢や金融システムを学びました。
この経験から、彼は早くからアメリカの国力と戦争遂行能力を深く理解していたといわれます。

海軍内では博識で合理的な思考を持つ将官として知られ、酒や博打よりも部下を育てる教育者的な一面を重んじていました。
その人格を表す言葉が、今なお多くの人に引用される名言です。

「やってみせ、言って聞かせ、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ」

この言葉は、リーダーとしての姿勢だけでなく、人を信じ、育てる力こそ組織を動かす原動力だという彼の信念を示しています。

一方で、軍人でありながら戦争を望まなかった現実主義者でもありました。
日米開戦前には「半年や一年は暴れてみせるが、その先はわからぬ」と語り、長期戦になれば日本は勝てないと冷静に分析していました。
それでも一度命じられた任務には全力を尽くし、連合艦隊司令長官として戦局を支え続けます。

昭和18年(1943年)4月18日、ブーゲンビル島上空で戦死。
暗号解読により行動を察知され、敵機の待ち伏せ攻撃を受けたとされています。
享年59歳。日本国民に惜しまれつつ、その生涯を閉じました。

彼の死後も、多くの人々がそのリーダーシップや先見性に敬意を払い、今日に至るまで「理想の上司」「真の指揮官」として語り継がれています。

お墓の場所とアクセス

山本五十六のお墓は、多磨霊園の7区 特種1側 2番にあります。
この区画は「名誉霊域」と呼ばれる特別な区域で、国家に功績を残した勲功者たちが眠る場所です。

お墓は多磨霊園内でも比較的アクセスしやすい場所に位置しています。正門から向かう場合は噴水塔を目指して直進してください。

噴水塔を正面に見たとき、左手側に広い敷地と立派な墓標が見えてきます。

周囲は木々に囲まれた静かな空間で、歴史を感じながら心静かに手を合わせることができます。

墓碑の様子

墓石には「元帥海軍大将 正三位 大勲位 功一級 山本五十六 墓」と刻まれています。その荘厳な佇まいは、今も多くの人々に敬意と感慨を抱かせます。

背後には戦没の年を示す「昭和十八年四月戦死」の文字。

お参り時のマナーとポイント

訪問の際は、静かに手を合わせることを心がけましょう。
お線香や献花を供える場合は、霊園のルールに従い、火の取り扱いにも十分注意を。
お供え物は必ず持ち帰ってください。
食べ物や飲み物の放置はお墓の管理者にとって非常に迷惑となります。
また、訪問者が多い場所ですので、写真撮影などは周囲の方に配慮して行うのがマナーです。

「たまのや」の代行サービスをご紹介

「たまのや」では、多磨霊園限定で『お墓参り代行・清掃サービス』を行っております。ご高齢や遠方の方など、さまざまな事情でお墓参りが難しい方に代わり、心を込めて清掃・供花などの対応をさせていただきます。

まとめ

多磨霊園を訪れる際は、ぜひ山本五十六のお墓を訪ねてみてください。
その静かな佇まいの前に立つと、彼の生きざまと覚悟、そして平和への願いを感じ取ることができるでしょう。

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