多磨霊園に眠る明治の英雄
多磨霊園には、近代日本を築いた数々の偉人が眠っています。
その中でも特に名誉霊域と呼ばれる特別区域に葬られているのが、明治日本の英雄――東郷平八郎(とうごう へいはちろう)です。
日露戦争で日本を勝利へ導いた彼は、今なお「海の神様」「東洋のネルソン」と称えられ、多くの人々が静かに手を合わせる姿が見られます。

東郷平八郎とは ― 日本を導いた海軍元帥
東郷平八郎は、明治から昭和初期にかけて活躍した日本海軍の元帥・侯爵です。
薩摩藩(現在の鹿児島県)に生まれ、若くして海軍兵学校に進み、留学先のイギリスで当時の最新鋭艦や海軍戦術を学びました。
そこで得た知識と経験が、のちの日露戦争での戦術判断に大きく生かされることになります。
1905年(明治38年)の日本海海戦では、連合艦隊司令長官として艦隊を率い、ロシアのバルチック艦隊を撃破。
当時、世界最大級の艦隊を打ち破ったこの勝利は、近代日本の国際的地位を一気に高め、世界の軍事史にも残る快挙となりました。
「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」
出撃前に艦隊へ発したこの檄文(げきぶん)は、今なお日本人の心に刻まれる名言です。
東郷は沈着冷静で寡黙な人物として知られ、部下の信頼も厚く、戦勝後も決して驕らず、常に謙虚な姿勢を貫きました。
その生涯は、武人としての勇気と、リーダーとしての誠実さの象徴といえるでしょう。
晩年は海軍元帥として国葬に列せられ、多磨霊園の名誉霊域に葬られました。
彼が遺した精神と功績は、今も多くの人々に尊敬され、歴史に名を刻み続けています。

お墓の場所と特徴 ― 名誉霊域に眠る
東郷平八郎のお墓は、多磨霊園の7区 特種1側1番にあります。
この区画は「名誉霊域」と呼ばれ、国家に功績を残した人物が並ぶ特別な一角です。

正門から入り、中央の噴水塔へ向かってまっすぐ進むと左手側に広がる整然とした区画。
その中に「元帥海軍大将 侯爵 東郷平八郎墓」の文字が刻まれた堂々たる墓碑が見えてきます。



元帥海軍大将侯爵東郷平八郎墓

昭和九年五月三十日薨


侯爵東郷平八郎妻テツ子墓

東郷家墓
周囲には妻・テツ子の墓碑や「東郷家墓」も並び、歴史の重みと家族の絆を感じさせる佇まいです。
昭和九年五月三十日薨(こう)
この刻字が、激動の時代を駆け抜けた英雄の最期を静かに語っています。
歴史ファンに人気の理由
東郷平八郎は、世界的にも評価の高い軍人で、イギリスでは“Nelson of the East(東洋のネルソン)”と呼ばれていました。
そのため、日本国内だけでなく海外からもファンや研究者が多磨霊園を訪れています。

また、隣接する山本五十六の墓所とあわせて巡る人も多く、日本の海軍史をたどる小さな聖地巡礼のような人気スポットとなっています。
歴史や戦史を好む方にとって、多磨霊園はまさに“歴史が眠る博物館”です。
お参り時のマナー
名誉霊域は、静寂と厳粛さが保たれた空間です。
訪問の際は、以下の点にご配慮ください。
・静かに手を合わせる
会話や雑音を控え、心を落ち着けて参拝しましょう。
・写真撮影は節度をもって
他の参拝者や霊域の雰囲気を損なわないよう注意してください。
・お供え物は必ず持ち帰る
花や線香を供える際は火気に十分注意し、供物はそのまま残さないのがマナーです。
「たまのや」の代行サービスのご案内
「たまのや」では、多磨霊園限定で『お墓参り代行・清掃サービス』を行っております。ご高齢や遠方の方など、さまざまな事情でお墓参りが難しい方に代わり、心を込めて清掃・供花などの対応をさせていただきます。
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まとめ
多磨霊園の名誉霊域に眠る東郷平八郎は、明治日本を象徴する英雄の一人です。
その墓碑の前に立つと、祖国を想い、時代を超えて敬われる人物の重みを感じます。
歴史散策の一環として、あるいは静かな祈りの時間として――
一度、東郷平八郎のお墓を訪れてみてはいかがでしょうか。

