【多磨霊園】北原白秋のお墓を訪ねて|日本近代詩の巨星、静かなる眠り

目次

日本近代詩を代表する詩人。北原白秋。

言葉と音楽を愛した詩人・北原白秋

「からたちの花」「この道」「待ちぼうけ」などの詩や童謡で知られる北原白秋(きたはら はくしゅう)。
1885年(明治18年)に福岡県柳川に生まれ、与謝野晶子や石川啄木らと並び称された近代詩の巨星です。

白秋は、言葉そのものの響きやリズムを重んじ、日本語の美しさを詩として極めた人物でした。
象徴詩や浪漫主義の影響を受けながらも、やがて日本語独自の柔らかさや情緒を表現する詩風を確立します。
彼の詩には、郷愁・自然・人生へのまなざしが流れ、読む人の心を静かに包み込みます。

また、「雨」「砂山」「あわて床屋」など、数多くの童謡や校歌の作詞を手がけ、文学と音楽を融合させた先駆者としても知られています。
昭和17年(1942年)、57歳でこの世を去るまで、詩人としての生涯を全うしました。

お墓の場所とアクセス

北原白秋の墓所は、多磨霊園の10区1種2側6番にあります。
この一帯は著名人が多く眠るエリアとして知られ、広い道路に面しており、車での墓参もしやすい立地です。
静かな環境の中で、ゆっくりと詩人を偲ぶことができる場所です。

墓所の佇まい

北原家の墓所は、ゆとりある敷地にあり、周囲を丁寧に剪定された植木が囲んでいます。
中央には半球状の独特な墓碑が建ち、「北原白秋墓」と刻まれた文字が印象的です。
丸みを帯びた造形はどこか詩的で、言葉と形が響き合うような静かな美しさを感じます。

敷地内の芝はきれいに刈り込まれ、足元まで整えられていました。
雑草もほとんど見られず、隅々まで手入れの行き届いた様子から、
この場所が今も大切に守られていることが伝わってきます。

墓碑のドーム型の表面には、小さな化粧石が一面に貼り付けられています。
これを「葺石(ふきいし)」と呼び、古くは古墳の表面を飾るために使われた装飾石です。
このような形状の墓碑は、明治期の神仏分離(廃仏毀釈)以降、神式の墓として建てられることが多く、北原白秋の墓もその流れを汲むものと考えられます。

この墓碑の設計は、白秋や萩原朔太郎の詩集装丁などを手がけた版画家でデザイナーの恩地孝四郎(おんち こうしろう)によるものとされています。
恩地は日本の抽象芸術の先駆者であり、詩や音楽と深く響き合う造形表現を追求した人物。
その手によるこの墓碑もまた、単なる石造ではなく、白秋の詩的精神を象徴する“芸術作品”としての側面を持っています。

文学者として新しい表現を追い求めた白秋らしく、墓碑の造形にもどこか“時代の変化”と“日本の古層文化”が重なっているように見えました。

左手には、やや小ぶりな「北原家の墓」が建てられており、こちらには家族や親族が眠っていると思われます。
詩人・北原白秋の墓と家族墓が並ぶ姿からは、一人の芸術家であり、同時に家族を想う人でもあった白秋の人生が静かに伝わってくるようでした。

訪問時には上品な供花が手向けられており、今なお白秋の作品を愛する人々の想いがこの地に集まっていることを感じました。

敷地全体は整然と保たれ、静けさの中に温かさが漂う、美しい空間です。

詩人の言葉が響く場所

「落葉松の秋の雨にぬれながら、みみにさやかにきくは涙か」
白秋の詩のように、この場所には静けさの中に深い情感が流れています。
風に揺れる木々の音、遠くで鳴く鳥の声――それらがすべて詩句の一部のように感じられる、
多磨霊園の中でも特に印象的な空間です。

おわりに

北原白秋が眠るこの地には、どこか言葉では言い表せない静けさと優しさがあります。
木々の間を抜ける風の音や、光のやわらかな揺らぎまでもが、白秋の詩の世界と重なり合うようでした。

多磨霊園には多くの文化人が眠っていますが、その中でも北原白秋の墓所は、詩と音楽、そして日本語の美を追い求めた詩人らしい、穏やかで品格のある佇まいです。

訪れる人それぞれが、白秋の言葉を胸に静かに手を合わせる――。
そんな光景が、時を超えてこの場所を詩の聖地のように守り続けているのかもしれません。

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