連合艦隊司令長官として海軍を率いた軍人。古賀峯一。
古賀峯一とは
古賀峯一(こが みねいち)は、旧日本海軍の軍人であり、太平洋戦争中に連合艦隊司令長官を務めた人物です。
1885年(明治18年)、佐賀県に生まれました。
海軍兵学校を卒業後、艦長や要職を歴任し、1943年(昭和18年)、山本五十六の後任として連合艦隊司令長官に就任します。
古賀峯一は、太平洋戦争という厳しい現実の只中にあって、海軍の行く末を深く憂いながら、その戦略と在り方を模索し続けた人物として、今日まで記憶されています。

1944年、前線視察のため搭乗していた航空機が墜落し、戦死。
国家の命運を担った連合艦隊司令長官としての責務と、その最期は、戦局に大きな影響を与えた出来事の一つとされています。

1944年(昭和19年)5月5日、大本営より古賀峯一の殉職が正式に発表されました。
これに先立ち、昭和天皇は古賀を元帥府に列し、元帥の称号を追贈。
あわせて功一級に叙され、金鵄勲章、旭日桐花大綬章を授けられました。
さらに特旨をもって位一級を追陞され、正三位に叙されています。

墓所の場所と周辺環境
古賀峯一のお墓は、多磨霊園の7区 特種1側 3番にあります。

この一帯は「名誉霊域」と呼ばれる特別な区域で、国家に大きな功績を残した勲功者や歴史的に重要な人物が眠る区画です。

周囲は霊園内でも特に整然としており、静けさと厳かな空気が保たれています。
古賀峯一の墓所のすぐ近くには、同じく連合艦隊司令長官を務めた二人の海軍大将、東郷平八郎、山本五十六の墓が並んでいます。

| お墓の場所 | 連合艦隊司令長官 在任期間 | |
| 東郷平八郎 | 7区 特種1側 1番 | 1903年(明治36)12月28日~1905年(明治38)12月20日 |
| 山本五十六 | 7区 特種1側 2番 | 1939年(昭和14)8月30日~ 1943年(昭和18)4月18日 |
| 古賀峯一 | 7区 特種1側 3番 | 1943年(昭和18)4月21日~1944年(昭和19)3月31日 |
わずかな距離の中に、日本海軍の歴史を象徴する三人の司令長官が静かに眠っており、この場所が持つ歴史的重みを強く感じさせます。
墓所の佇まい
古賀峯一の墓所は、多磨霊園の名誉霊域にありながら、周囲の自然に静かに溶け込む、きわめて簡素な佇まいです。



墓石は五輪塔形式で構成されており、装飾性を抑えた落ち着いた石色が印象的です。
高さはあるものの威圧感はなく、全体として控えめで、見る者に静けさを感じさせます。

墓碑正面には「古賀峯一之墓」とのみ刻まれ、官職や階級などの肩書は一切記されていません。
その簡潔さが、かえってこの墓所の性格を際立たせています。


周囲は樹木に囲まれ、木漏れ日が差し込む穏やかな環境です。
季節によって光や影の表情が変わり、時間帯によっても墓所の印象が大きく異なります。

敷地は広く取られており、参道から一段奥まった位置に墓所が設けられています。
道路に面しながらも視線は遮られ、外界の気配から切り離されたような静寂が保たれています。
なお、この墓所には妻・八重の墓も併設されており、古賀峯一の墓に寄り添う形で建立されています。



名誉霊域という特別な場所にありながら、誇示するものは何もなく、ただ静かに、ひとりの海軍軍人の人生を物語る墓所です。

その質素さと静けさは、古賀峯一という人物の生き方、そして最期を、今もなお無言のまま伝えているように感じられます。

古賀峯一の墓所が質素である理由
山本五十六の後を継ぎ、連合艦隊司令長官に就任した古賀峯一ですが、その墓所は、東郷平八郎、山本五十六という二人の大提督の墓と比べると、驚くほど質素な佇まいとなっています。


立派な肩書が刻まれた東郷・山本両提督の墓所に対し、古賀峯一の墓は簡素な五輪塔で、墓碑には肩書が一切記されていません。
戦局が泥沼化し、日本国全体、そして海軍にも余裕がなかった時代背景を考えると、連日多くの戦死者が出ていた状況の中で古賀峯一の葬儀は十分な準備を整えることが難しかったのではないかと推察されます。

国葬ではなかったこともあり、形式や規模の面においても、やむを得ず簡略な形で執り行われた可能性は否定できません。
また、多磨霊園への埋葬に際しても、現在のように墓石が整えられるまでには時間を要し、当初は十分な体裁を整える余裕がなかったのではないか、そのようにも感じられます。
戦後、古賀が戦死した当時の連合艦隊参謀長であった福留繁は、
「古賀長官の墓碑を、より立派なものに建て替えたい」
と考え、古賀家を訪ねたといいます。
しかし、その申し出に対し、応対した古賀の妻は、
「古賀は何のお手柄一つ立てず、あのような最期を遂げたのですから、今の墓石で十分です。
故人も、きっとそう思っているに違いありません」
と静かに語ったと伝えられています。

この逸話を知ったうえで墓前に立つと、
この質素な墓石こそが、古賀峯一という人物の生き方と覚悟を、雄弁に物語っているように感じられます。
おわりに
東郷平八郎、山本五十六という大提督の墓所に並びながら、古賀峯一の墓はひときわ静かで質素な佇まいを見せています。
肩書を刻まない墓碑と、寄り添うように建てられた妻の墓。
その簡素な姿は、連合艦隊司令長官として激動の時代を生きた古賀峯一という人物の生き方と覚悟を、今も静かに伝えているように感じられます。

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