東京ディズニーランド誕生の立役者。高橋政知。
はじめに
東京ディズニーランドを語るうえで欠かせない人物がいます。
それが、株式会社オリエンタルランドの二代目社長・高橋政知(たかはし まさとも)さんです。
ディズニーリゾート構想の実現に向けて奔走し続けた「夢を形にした人」。
ここ多磨霊園には、その高橋政知さんが静かに眠っています。
高橋政知とは
高橋政知さんは、オリエンタルランド二代目社長を務めた人物です。
この人がいなければ東京ディズニーリゾートは存在しなかったと言われるほど、開園までの道のりに大きく貢献しました。

入社当時のオリエンタルランドは社員わずか三名。
実際に動いていたのは高橋さんただ一人という状態だったと言われています。
その状況の中で、浦安の漁業権放棄交渉、浦安沖の大規模埋め立て、アメリカ・ディズニー本社との交渉など、数々の難関を乗り越えました。

そして1983年4月。
東京ディズニーランドがついにグランドオープン。
開園を機に、日本中でディズニーへの関心が一気に高まりました。
メディアは連日のようにパークを特集し、地方からの観光ツアーも続々と企画され、ディズニーグッズは日本中で大人気に。
東京ディズニーランドは、家族旅行の定番として、あっという間に“特別な場所”として浸透していきました。

その一方で、高橋さんは次のステップとして、新しいテーマパークの構想を温め始めます。
海をテーマにした、世界でも類を見ないディズニーパークを日本で実現させたい。
それが、後に東京ディズニーシーとして形になるプロジェクトでした。
用地の整備、予算、技術、コンセプトづくりなど、またしても大きな壁が続きましたが、高橋さんは実現に向けて着実に準備を進めていきます。

しかし、2001年に開園した東京ディズニーシーを見ることなく、高橋さんは2000年1月に逝去されました。
誰もが無理だと言った巨大プロジェクトを、強い信念と情熱で実現させた人物。
それが高橋政知という人でした。
お墓の場所と雰囲気

高橋政知さんのお墓は、多磨霊園 6区1種8側12番 にあります。
広い参道沿いに位置し、明るく開けた場所で、周辺の緑が風に揺れる落ち着いた雰囲気です。

左右に灯籠風の石塔が並び、中央へ続く参道がまっすぐ伸びています。
初めて訪れる方でも比較的見つけやすい印象です。

お墓の特徴
墓石の正面には「倶会一処(くえいっしょ)」と刻まれています。
これは浄土真宗の教えに基づく言葉で、「来世で必ずまた会いましょう」という意味を持ちます。




墓石左側には、東京ディズニーランド開園時のテープカット写真が彫刻された大型の墓誌碑があります。
ミッキー、ミニー、ドナルド、そしてカードン・ウォーカー氏(当時のディズニー社トップ)と並んで写る、印象的な一枚です。
ディズニーランド誕生を象徴するシーンが、まさか多磨霊園で見られるとは思わない方も多いでしょう。


歴史の重みと同時に、明るさや優しさを感じる独特の佇まいです。
現地で感じられること
お墓の前に立つと、東京ディズニーランド開園の瞬間をおさめた写真が自然と目に入ります。
あの夢の国の幕開けに関わった人物が、いま静かにここに眠っている。
そう思うと、胸の奥がじんわり温かくなるような感覚があります。
高橋政知さんが歩んだ道は決して平坦ではありませんでした。
反対や批判、資金難、多くの壁にぶつかりながらも諦めなかった人。
夢を追い、実現させた人の人生を思い巡らせると、多磨霊園の静けさが一層深く感じられます。

おわりに
東京ディズニーリゾートは、今や日本を代表するテーマパークのひとつです。
その裏側には、高橋政知さんという一人の男の努力と信念がありました。
多磨霊園でその墓所を訪ねると、華やかな舞台の裏で支え続けた人物がいたことを改めて思い起こさせてくれます。
夢を追った人の眠る場所として、一度は訪れてみる価値のある墓所です。

「たまのや」より
「たまのや」では、多磨霊園でのお墓参り代行・清掃サービスを行っております。
広い多磨霊園の中で場所がわかりにくいお墓でも、丁寧に探し、ご供養のお手伝いをいたします。
お墓の状態確認や清掃のご相談も、どうぞお気軽にお声がけください。
